「乙訓・北摂の歴史的建造物を巡る見学会」報告
平成28年4月16日
事業委員会主催
参加者 11名
今回、事業委員会では国宝の待庵と重文の燈心亭との茶室をメインに、大山崎山荘美術館見学という充実の内容で開催致しました。
4月16日、晴天に恵まれ、阪急水無瀬駅をスタート。
水無瀬神宮は元々後鳥羽上皇が造営した水無瀬離宮のあった所で、上皇崩御後、御宮を建て、菩薩を弔ったのが御影堂であり、永らく仏式で祀られていましたが、明治の神仏分離令の後、神式に改められ、水無瀬宮(みなせのみや)と称しました。
その後、昭和14年後鳥羽天皇七百年式年に当たり、官幣大社に列格し、大阪府に於いては唯一の神宮に改称されました。
境内にある燈心亭(重文)は、元々京都御所内にあったもので、江戸時代前期に後水尾天皇により下賜された三畳台目の本席と水屋からなる寄棟造りの茅葦。
入側縁が西から南に廻る為、開放的で明るい茶室です。建具の指物の意匠は、その当時も今も変わらず斬新だと言えるでしょう。
又、躙り口が無いというのも、宮中の茶室である特徴だと思います。
昼食は西国街道にある大正元年創業の谷崎潤一郎の小説「蘆刈」(あしかり)にも登場する「かぎ卯」にて。
食後、西国街道を徒歩にて妙喜庵・待庵(国宝)へ。
待庵は、有名な天王山合戦の折、羽柴秀吉は山崎に陣をしき、陣中に千利休を招いて造られた二畳隅炉の茶室です。
その後、解体され元和9年(1623年)頃に妙喜庵に移されたと言われています。
千利休独特の構想で建てられ、現存する茶室建造物としては日本最古のもので、遺構としては唯一のものです。
この茶室の掛け込み天井と棹縁天井の組み合わせ、床の間や天井を塗りまわした室床の構造から二畳敷の割には広く感じられ、連子窓、下地窓の配置、すさを出した壁のあり方、やや広い躙り口、隅炉などと共に、利休の非凡の構想力がうかがわれ、後世の数寄屋はこれを模したものが多い。
現代の茶室のお手本となった待庵ですが、国宝の為、外からの見学です。
直接茶室に座り、その空間に身を置いてみたい。ローソクの明かりではどのように見えるのか。体験したいものだと強く感じました。
国宝待庵の余韻を残し、シャトルバスにて大山崎山荘美術館へ。
大山崎山荘は、大正から昭和初期に実業家加賀正太郎が別荘として自ら設計した英国風の山荘です。
平成に入り、取り壊しの危機に会いましたが、アサヒビール㈱が京都府大山崎町と協力して復元整備を行いました。
その敷地は広く、庭園入口のトンネルを抜けると、四季折々の花を楽しめる庭、東屋、旧車庫のレストハウス、流水門、橡の木茶屋、彩月庵、栖霞楼、イギリスのチューダー・ゴシック様式を基本にした本館、安藤忠雄による「地中海の宝石箱」「夢の箱」からなります。
「地中海の宝石箱」は緑豊かな周囲の景観に溶け込むよう、地中に埋め込まれ、円柱形のギャラリーでは、クロード・モネ「睡蓮」を展示しています。
チューダー・ゴシック様式の洋館とコンクリート打ちっぱなしの建築、クロード・モネの絵画と見どころ満載です。
又、開館20周年記念のー終わりなき創造の旅―では、ピカソ「青の時代」の傑作も鑑賞し、充実した一日を終えました。
最後に、今回事情があり参加できませんでしたが、企画をしてくださった奥田さん、大山崎美術館のチケットを提供して頂いた中井さんに感謝申し上げます。
事業委員会委員長
新井いつ子